自分はお酒が好きです。
でも、こんな事を言うと「生意気な!」と思われるかもしれませんが、ちゃんとしたお酒しか飲みません。
日本酒なら純米酒。
ワインなら、自然派ワイン。
ビールは酵母が生きているもの。
でも、体の為なんです。
40過ぎてから飲み物を選ぶようになり、二日酔いもなくなりました。
もちろん、体つくりもかかしません。
あ!お酒は好きですが、酒量は減りました。
本当に久しぶりにお昼を食べに築地に行ってきました。
最近は休みの日に早起きできないので、どうしてもお昼になってしまいます。
隣に寿司大さんと言うこれまた行列店があるのですが、ネタの良さと市場感といい、大和さんがお気に入りです。
お寿司だけではなく、お刺身やマグロの筋を炙ったおつまみ。
今回はアワビも炙って肝と一緒にいただいちゃいました!
次回は梅雨時になっちゃうと思いますが、またお邪魔したいと思います。
そうそう、築地のお気に入りはその他に、天ぷらの「天房」さん。
茂助団子の玉子雑煮もいいですよ。
今や我が町印西市には大型店舗が乱立している。
ジョイフルホンダ、ヤマダ電機、ケーズデンキ、イオン、ユニクロ、
大型ドラッグストアーに至っては数店舗もある。
大型スポーツ用品店や、本屋さん。
なんとダメ押しか、今度はコストコとカインズホームなるものが進出してくるらしい。
しかし、その一方市では旧市街地の活性化対策に力を入れている。
千葉ニュータウンが出来る前には繁盛していた商店街に、今一度光をあてようとしているわけだ。
面白いもので・・・と言うか、不思議なもので、印西市役所はニュータウンの住民からはとっても不便なこの旧市街地にある。
それに、文化センターもこの市役所に隣接しているため、これまた不便な場所という事になる。
どれだけ不便かと言うと、歩いてはまず行けない。バスは・・・一日に数本。
車で行くか?半日かけて市の「ふれあいバス」でのんびり小旅行か?
という感じだろうか。
しかし、ニュータウン地域にはとても貴重な里山がある。
ん?なにか、不思議さを感じまいか。
大型店が進出してくる地域には自然豊かな場所があり。
過疎化していく旧市街地は、土地が余っていてどんどん大型店などは進出してきてほしい
のに、さびれていく。
自然を守り、子育てがしやすい安全な健康的な場所でなければいけないところに、
車社会を組み込み。
活性化対策をしているはずの旧市街地は、ますますゴーストタウンとなっていく。
自分は見てきた。
大型店が進出してくるたびに、無くなっていく個人の商店や金物屋。
コンビニさえも、大型店の出店に合わせての道路計画で人通りがなくなってしまったために
閉店していった。
日本一高い北総線の運賃を下げる努力よりも、渋滞を緩和する為にその北総線沿いの桜の木を切り倒してバイパスを作っている滑稽さ。
里山という希少な自然を壊し、排気ガスを増やすための工夫をしているのか?
ツイッターでは、この大型店の進出を「定住誘致に弾み」とか「千葉ニュー大勝利」とか、
情けなくなるようなつぶやきもある。
アメリカチックな大量消費大量廃棄型店舗。
そこに心非ずの飲食店(ファミレスや回転ずし)
そんな街作りが、大勝利なんだろうか?
確かに、町が発展していく時には光も影もある。
すべてに光があたり輝いていけるわけではないと思う。
でも、大人はいつも「思っていなければいけない事がある」という事を、
今回の震災・原発事故で思い知らされたのではなかったか。
それはなにか、自分はこう思う。
「今の子供たちに残していけるものとは、自分たちが作り出したものではなく、
遠い昔より受け継いできたもの」
フランスにいた時に、なぜ?フランス人はこんなに不便な所に住んでいるのかと
疑問に思った。
何百年も前の建物や、ある時急に冷たい水になってしまうシャワー。
つまずいてしまいそうな石畳。
フランス人の友人が言っていた。
「作り変えることはできるけれど、元に戻すことはできないだろ?」
買っちゃいました!
スピードラーニングフランス語版。
毎日聞くことが語学を習得する道ですが、それが難しい昨今。
これはなかなかいいと思います。
まずはスタッフがどれだけ上達するか・・・ですが。
お菓子屋さんになりと思っているあなた?
あなたは、「食べる側の人でしょうか?」
それとも「作り手の側でしょうか?」
ミクニにいた時にシェフにこんな事を言われたことがあります。
ラシェットブランシュでの食事会の時・・
今食べている料理を作れるようになってから、その料理に対しての批評をしろ。
「自分ならこうする・・」とか。
「なんでこれはこうなんだ?」とか。
「あそこのよりもここの方が美味しい」とか。
「あそこのお店の方がここのより美味しい」とか。
それは、まずお前らが作れるようになってからだ!
と。
シェフは、作り手としての心構えを教えてくれていたのだと思います。
食べて側の人間なら何を言おうが、評価しようが構わないのでしょうが、
作り手になろうとしている者は謙虚に向かい合う姿勢が大切。
そのものから「学ぶ」と言う姿勢でしょうか。(ちょっと言い過ぎかもしれませんが)
確かに、同じ材料で作っても同じようにはいかないのが食べ物の世界です。
そこには料理人の技術とセンスと姿勢が表れてくるのですが、
最近は情報と言うものもそこに加味されるようです。
有名料理人だから、有名店だから・・と、食べ手側をある意味「美味しいぞ!」
に誘導するような情報を流しているのは、いかがなものかと思います。
作り手になると、そのものを作るのは、どれだけ経験と技術が必要で、
それを維持していくにはどれだけの苦労があるかがわかるものです。
成し遂げるまでの時間を惜しみ、経験と技術を積み重ねる事をしないのは、
作り手側にはなれないと思います。
バンドゥース(売り子さんとでも訳しますか?)
は、また違うセンスを求められます。